1954-10-20 第19回国会 衆議院 農林委員会 第76号
またあの地方の気候あるいは風土の状況を調べずに、地元の反対があつたにかかわらず、簡単に、時の知事——杉山知事でありますが、この人が有権的に許可したというところに今日の根本的な誤りがあろうと私は思う。ところが、あの地方は御承知のように火山灰地帯でありますし、それに毎年風雨が非常に激甚でありますので、あの川底にだんだんいわゆるシラス、ボラがたまりまして、今日おそらく二メートル以上でありましよう。
またあの地方の気候あるいは風土の状況を調べずに、地元の反対があつたにかかわらず、簡単に、時の知事——杉山知事でありますが、この人が有権的に許可したというところに今日の根本的な誤りがあろうと私は思う。ところが、あの地方は御承知のように火山灰地帯でありますし、それに毎年風雨が非常に激甚でありますので、あの川底にだんだんいわゆるシラス、ボラがたまりまして、今日おそらく二メートル以上でありましよう。
○明禮委員 佐世保復興建設協力会というものがありまして、この建設協力会では、あとでお尋ねをする杉山知事には約百四十万円の金を集めて選挙運動をしたようでありますが、あなた方へはこの佐世保復興建設協力会なるものからは何らかの御援助はいたしておりませんでしようか。
○明禮委員 そこで知事選挙なんですが、二十一年に佐世保復興建設協会の代表として、あなたが杉山知事との間に占領軍ダム工事、請負高約一億円の契約をなすつたことがありますか。
この杉山知事の推薦のときに、山水楼であなた方が会合を催しておりましたね。どうですか。
○門屋證人 知事を一番初め見ましたのは、私が佐世保市の復興委員をしておりまして、その復興委員会に杉山知事が長崎縣に赴任しまして佐世保の初巡視をやつたときに、佐世保の復興状況について座談会を開いた。その座談会に出ましたのが杉山知事を知つた初めであります。
その決議録の「昭和二十二年三月十四日役員会議の議決として「現長崎縣知事選挙に関する懇談の結果杉山知事を推挙することに議決す」当日は理事長以下九名の理事と相談役評議員十名参加。」こうなつております。
○吉永證人 それは昨年の三月十一日午後一時ごろに、梅村組の寮を第三者運動の選挙事務所にしておりましたので、そこで話合いをして、その際に杉山知事がその席にちよつと顔を出したということがわかつております。